RNAの世界

 現存する地球上の生物のほとんどでは、ゲノムの情報はDNAに蓄えられ、遺伝子の情報は機能性分子であるタンパク質によって取り仕切られています。RNAはセントラルドグマがいうように、単にDNAとタンパク質の間のメッセンジャーにしかすぎないのでしょうか。じつは、生命の起源までたどっていくと、DNAもタンパク質も存在しないRNAの世界(RNA world)があり、RNAがゲノムの役割と機能成分子の役割を両方とも兼ね備えていたとする見方が有力になってきました。RNAがゲノムの役割をしうることは、今でもRNAゲノムをもった生物が存在することでわかります。RNAが機能的な役割をすることについては、転移RNAやリボソームRNAなどは古くより知られていましたが、1981年に チェック(Thomas R. Cech)らはそれまでタンパク質にしかできないと思われていた酵素作用をもつRNAがあることを見いだし、リボザイム(ribozyme)と名付けました。さらに自然界に存在するRNAだけでなく、実験室内で自然淘汰に相当する分子進化を起こさせ、新しい機能をもつRNAを設計することにより、RNAは幅広い機能をもちうる分子であることがしだいに明らかになってきています。

 生命は自己複製系としてのRNAから始まったのでしょうか。すると、RNAの世界からセントラルドグマは図に示すような進化をしてきたことになります。RNAゲノムから遺伝子部分を切り出して機能性RNA分子を作りだすための処理、そのなごりがRNAスプライシングやRNAエディティングとして、今でも残っているのではないでしょうか。生命の起源と進化の謎を解く手がかりはRNAにあるといっても過言ではありません。ところで、遺伝子というとタンパク質を思い浮かべることが多いですが、転移RNAの遺伝子、リボソームRNAの遺伝子などもあり、ここで述べてきたことから明らかなように、ゲノムの中で機能性分子の作り方を規定している部分、すなわち転写される部分が遺伝子であると定義した方がよさそうです。すると、翻訳も含めた転写後処理により作られる機能性分子は、タンパク質でもRNAでもよいことになります。RNAスプライシングは生物種によっていくつかのタイプがあり、またRNAからタンパク質への翻訳の際の遺伝暗号も当初考えられていたようにユニバーサルでなく、ミトコンドリアや葉緑体の一部でバリエーションがあります。これらは、セントラルドグマ自体が個々の生物種とともに進化してきたことを示唆していると思われます。

 RNAはアデニン(A)、ウラシル(U)、グアニン(G)、シトシン(C)の4種類のヌクレオチドが一次元的に並んでできた鎖状の生体高分子です。RNAを構成するヌクレオチド(リボヌクレオチド)はDNAを構成するヌクレオチド(デオキシリボヌクレオチド)と、糖がリボースかデオキシリボースかというわずかな違いがあるだけで、化学的に類似の分子です。ATP、サイクリックAMP、NAD、補酵素Aのように生体内で重要な役割を果たすヌクレオチドが、デオキシリボヌクレオチドでなくリボヌクレオチドであることも、RNAの世界のなごりであるとされています。RNAの一次構造についてはDNAよりずっと早く、ホリー(Robert W. Holley)が1965年にアラニンの転移RNAで決定しました。立体構造についても1973年にX線結晶解析でフェニルアラニンの転移RNAの構造が決定されています。しかしながら、タンパク質の立体構造がX線結晶解析やNMRにより今日まで多数解明されているのに対し、立体構造が解明されたRNAはごくわずかであり、RNAの構造と機能の関連についてはまだまだ未知の部分が多いのです。


参考資料