日本のヒトゲノム計画

[日本におけるヒト・ゲノムプロジェクトの成立と展開]


― [ I ] 成立まで ―

 1973年に登場した組替えDNA技術は、ヒトをはじめあらゆる生物の遺伝子(DNA)を取り出し、大腸菌などを使って自由に増やすことを可能にしました。更に1977年に開発されたDNAの塩基配列(シークエンス)決定法は、このようにして取り出した遺伝子にどんな情報が書かれているかを解読することを可能にしました。その結果あらゆる生物の遺伝子をDNAのシークエンスという共通語を使って理解することが可能になりました。これを契機に生物学、医学は一変し、次々と新しい発見が行われました。このような革命的ともいえる遺伝子研究の発展を背景に1985年頃から、全てのヒト遺伝子の解析を行い、ヒトゲノムの全貌を明らかにしようとする動きが科学者の間に現れ、やがて米国を中心として世界的規模で進められるようになりました。我が国でもこの計画を推進するために、1989年10月の日本学術会議勧告「ヒト・ゲノムプロジェクトの推進しついて」などの勧告、報告が文部省、科学技術庁、厚生省においてだされました。

― [ II ] ヒトゲノムプロジェクトの第I期 ―

 これらの報告や勧告を基に、各省庁はヒト・ゲノムプロジェクトを推進するために具体的な取り組みを始めました。文部省は創成的基礎研究「ヒト・ゲノム解析研究」と、重点領域研究「ゲノム情報」を5年間(1991年―1995年)の予定で発足させたのに加え、ヒトゲノム解析センターを東大医科学研究所に設置しました。科学技術庁は、科学技術振興調整費「ヒト遺伝子地図」及び理化学研究所におけるゲノム解析研究をスタートしました。
 また、各省庁におけるゲノムプロジェクトを一体となって推進するために、内閣総理大臣を議長とする科学技術会議のもとに「ヒト・ゲノム解析懇談会」が設けられ、各省庁間の情報交換、連絡・連携の場として機能させることで、このヒト・ゲノムプロジェクトの一層の推進が図られてきました。

― [ III ] ヒトゲノムプロジェクトの第II期 ―

 ヒトゲノムの創成期ともいえる1990年から95年にかけて、我が国も含めて世界的に目覚ましい研究の進展がありました。最初の目標であったヒトゲノムの地図作りは予定より早く目処が立ち、95年頃を境に地図情報から更に詳しいヒトゲノムのシークエンス情報を明らかにする次の段階へ進み始めました。これによって多くの疾患遺伝子がずっと早く、正確に判るようになります。またゲノム配列をもとに我々がまだその存在を知らない多数の新しい遺伝子が発見されつつあります。そして、それらの新しい遺伝子の働きを明らかにする研究が必要となってきました。このようなゲノム研究の新しい展開に対応して、我が国のとるべき方向として「ヒトゲノム解析懇談会」は1994年6月に「ヒトゲノム解析の当面の課題について」と題する報告を出し、また文部省のバイオサイエンス部会も報告「大学等におけるヒトゲノムプログラムの推進について ―第II期の研究の推進に向けて―」を1995年4月に出しました。その中では、(1)ヒトゲノムの大規模なシークエンス解析を行える体制を整えること、(2)シークエンス解析から見つかる多数の新しい遺伝子に対し、それらの機能を明らかにする研究を推進すること、及び(3)今後莫大に膨れ上がるゲノムに関するいろいろな情報を有効に利用するための生物情報科学の一層の発展の必要性が強調されました。そして、これらを具体化するために、文部省、科学技術庁を中心に研究体制の一層の充実が図られています。
 文部省では、1996年―2000年の予定で重点領域研究「ゲノムサイエンス」を新しく発足させ、ヒトゲノムのシークエンス解析、新規遺伝子の機能解明、ゲノム情報の体系化に関するグループ研究を進める一方、ヒトゲノム解析センターに新たに「ゲノムシークエンス分野」と「シークエンス技術開発分野」を設置しました。また日本学術振興会の未来開拓事業においても、ヒトゲノム解析を重要課題の一つとして決定し、プロジェクト研究を進めています。一方、科学技術庁は科学技術振興調整費「ゲノムダイナミズム」及び科学技術振興事業団においてヒトゲノムシークエンス事業を進めると共に、理化学研究所に遺伝子機能の解明を目指す新しいプロジェクトをスタートさせました。また、かずさDNA研究所など、民間のゲノム研究への活動も活発になり始めました。