ゲノムサイエンスの将来

[「ヒトゲノム」は21世紀のキーワード ]

 130年程前にパスツールが生物の自然発生説を完全に否定する実験を行うまでは、生物は自然に土や肉汁から生まれると考えられていました。それから1世紀余りの生物科学の発展は目ざましく、20世紀の最後の10年はついに生物を作る情報であるゲノムの解析が行われるまでになりました。これが「ヒトゲノム計画」なのです。
 20世紀は単に生物の理解が進んだだけではなく、病気の診断や治療の技術も格断に進歩しました。ビタミンの発見が相次ぎ、かっけなど食事の片寄りから起こる病気は予防できるようになりました。フレミングによるペニシリンの発見以降、抗生物質よって結核などの感染症の治療も可能になりました。免疫現象の理解からアレルギーの抑制ができるようになったり、脳の研究から精神病の治療薬が開発されたりもしています。この20世紀は生物の応用分野である医学・薬学の飛躍の1世紀でもありました。
 それでは21世紀はどのような世紀になるのでしょうか?生物の中にはアナログ的な世界とデジタル的な世界とがあります。くじゃくのオスが着かざってメスの気を引く性質、学習による脳のネットワークの結線の変化、アメーバの運動、分解酵素の活性…。マクロからミクロまで様々な生物現象がありますが、これからの現象はコンピュータの中に表現することがなかなか難しいアナログ世界です。一方、DNAの文字配列とそれが表現している遺伝子の並びはコンピュータの中にデータベースとして瞬時に入力することができます。そして、各種の情報処理に利用することのできるデジタル世界を形成しているのです。生物科学の中のアナログ世界に対する研究は何世紀もの歴史があるのに対して、生物のデジタル世界に対する研究は高々数10年の歴史しかありません。本当の意味では、ヒトゲノム計画によって始めてデジタル世界の研究が本格化しました。そして、現在は精力的に、生物のデジタル世界の研究が進められているのです。
 21世紀に入ると、これまで個別に行なわれてきた生物の挙動、姿・形、性質などのアナログ世界の研究と、ゲノムの情報というデジタル世界の研究が、融合していくと考えられます。つまり、ゲノムの情報が生物の挙動、姿・形、性質を生み出す一般的な原理の探索、発見が行われるようになるでしょう。生物のアナログ世界とデジタル世界をつなぐという新しい研究分野が開かれていくのです。これは、本当の境界領域であり、生物科学ばかりではなく、情報科学、物理・化学、各種の工学などの多くの学問分野をまき込み、医学・薬学などの応用分野も様変わりする可能性を秘めています。このような21世紀最大の科学の流れのキーワードが「ゲノム」であり、「ヒトゲノム」なのです。今後の「ゲノムサイエンス」の展開に是非注目していただきたいと思います!