ゲノムとは何だろうか?

 19世紀の半ば、メンデルという人がえんどう豆の遺伝現象を調べることによって、遺伝子という概念を発表しました(実はメンデルの発表は当初まったく無視され、30年近く後に再発見されました)。例えば、髪が黒いとか、目が茶色だというような性質が、親から子供に伝わりますが、それは遺伝子が親から子供に伝えられるからです。実は、私たちヒトの身体はおよそ5万〜10万の遺伝子によって作り出されているということが分かっています。遺伝子の数は違いますが、他のすべての生物も多くの遺伝子の働きによって身体ができています。そして、それぞれの生物が持つすべての遺伝情報を指して、ゲノムと呼んでいるのです。ですから、ヒトゲノムというのは、ヒトのすべての遺伝情報を指すことになります。

 「遺伝子」とか「ゲノム」という言葉は単なる概念ではなく、それを実現している物質があります。それが染色体であり、DNA分子であり、DNA塩基配列です。生物は細胞でできています。私たちヒトの身体もおよそ60兆個の細胞でできています。そして、すべての遺伝情報を含んだ染色体は細胞の中の核という構造体の中に納められています。染色体は、巨大なDNA分子とヒストンなど何種類かのタンパク質からなっていますが、遺伝情報はDNA分子の中に書き込まれています。DNA分子は4種類のよく似た単位がつながったものです。アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)がそれらの単位の名前です。言い換えれば、遺伝情報はこれらの4種類の文字で書かれた文章です。そして、ヒトの遺伝情報を書き込んだ文章は、約30億の文字からなっています。ただ、30億の文字がひとつながりになっているわけではなく、23対の染色体(22対の常染色体とX、Yの性染色体)に分けられています。23本の染色体に含まれるDNAの30億の文字をすべて足すと、何と私たちの身長ぐらいの長さになります。私たちの身体は60兆個くらいの数の細胞でできていて、それぞれの細胞がすべて30億の文字を書き込んだゲノムを含んでいるというわけです。
 以上のことから分かるように、ゲノムはDNA分子のすべてを合わせたものに対応しており、その中にある遺伝子はDNAのある断片(DNAのある長さの文字配列)に対応しているのです。何か不思議な気がしませんか?DNAのある文字の配列が髪を黒くし、別の文字の配列が目を茶色にしたりするというわけですが、どうしてそんなことが起こるのでしょうか。実はこれを実現するために、自然は非常に巧妙な仕組みを用意しています。DNAの文字配列が直接身体の性質を発現するのではなく、一度タンパク質のアミノ酸という別の分子の文字配列に変換(翻訳)しています。そして、そのタンパク質が身体のさまざまな構造や機能を発現しているのです。つまり、私たちヒトの細胞には30億の文字からなるDNA分子があり、その中には10万ほどの遺伝子に対応する文字配列が含まれています。それらのDNAの文字配列は巧妙な装置によってタンパク質のアミノ酸配列に翻訳されます。そして、それらの約10万種類のタンパク質が私たちの身体のすべての働きを担っているというわけです。