ポストゲノム時代のバイオインフォマティクス

Post-genome Informatics

金久 實 (Minoru Kanehisa), 京都大学化学研究所教授

2000年1月 OUP UK より出版,158ページ,figures,23.5x15.5cm
ハード版:019850327X 本体価格 10,400円/ペーパー版:0198503261 本体価格 5,190円

 ゲノムの情報から生命システムの情報へ

 20世紀後半の生命科学は分子生物学全盛の時代であった。その根底には「生命のはたらきは分子や遺伝子のはたらきとして理解できる」とする還元論の考え方がある。その究極の形として1980年代の終わりに始まったヒトゲノム計画では、ヒトをはじめ数多くの生物種において、ゲノムすなわち遺伝子の全セットを明らかにする研究が行われている。2003年にはヒトゲノムの解読が終わるとされているが、解読といっても、これは単にゲノムの全塩基配列を決定することであり、個々の遺伝子がどこにあるか、さらにそのはたらきが何であるかが、直ちに明らかになるわけではない。実際、これまで全ゲノムが決定された比較的単純な生物種でも、ゲノム中に含まれる遺伝子のうち機能が分かっているものは半分以下しかない。ゲノムの情報を真の意味で解読するためには、還元論と反対のアプローチ、すなわち個々の部品(遺伝子)の集まりからシステム全体(細胞あるいは生物個体)が再構築できるかどうかを調べ、「生命のはたらきをシステムのはたらきとして理解する」合成論のアプローチが必要である。

 還元論が主に実験科学として行われてきたのに対し、合成論は基本的に情報科学の問題である。つまりゲノムの情報から生命の情報システムを再構築することは、コンピュータの中で行われる。21世紀の生命科学は情報科学と融合し、生命情報科学あるいはバイオインフォマティクスと呼ばれる分野が急速に発展していくだろう。ここで、バイオインフォマティクスは、ゲノム・インフォマティクスとポストゲノム・インフォマティクスに分けて考えることができる。前者はゲノム解析に伴う大量データ処理のために必然的に生まれたもので、実験プロジェクトをサポートすることが主目的であった。一方、後者はポストゲノム時代の解析、すなわちゲノムの情報を基盤に生命の原理を明らかにし、新産業の創出を行うもので、情報科学が主役となる。ただし、これは新しい実験科学と融合した情報科学でなければならない。ゲノムの配列情報とは基本的に部品(遺伝子あるいは分子)のカタログ情報であり、DNAチップ等の新しい実験技術に基づく部品間のつながり(相互作用)の情報がなければ、生命システムの再構築はできないからである。

 本書は、生命科学、情報科学、物理科学の境界領域に位置するバイオインフォマティクスの入門書である。本書を執筆した最大の理由は、これら一見異なる領域の間にも、実は概念的なつながりがあることを明らかにし、そこから境界領域としての新しい展開の可能性を示すことであった。ゲノムや生命現象に興味のある学生や研究者であれば、専門分野を問わずに、それぞれ本書に意義を感じ取っていただけるだろう。本書の第1章は分子生物学とヒトゲノム計画の要約である。第2章では分子生物学関連のデータベースを、第3章では配列比較や構造・機能予測などのデータ解析法をまとめてある。データベースやソフトウェアツールの使い方を解説するのではなく、基本的な概念を明らかにすることにつとめ、個々の詳細は巻末の参考文献を参照するようになっている。第4章が本書の最もユニークな部分で、分子間相互作用ネットワークの解析を中心に、ポストゲノム・インフォマティクスの中心テーマであるゲノムから生命システム再構築への展望が述べられている。筆者のグループはこの再構築を全塩基配列が決定されたすべてのゲノムにおいて実践しており、KEGG システム(http://www.genome.ad.jp/kegg/)として提供している。第4章と併せて利用していただきたい。KEGG をはじめゲノムに関する情報のほとんどは、インターネットを通じて誰でも自由に利用できる。ポストゲノム・インフォマティクスの最終目標、すなわち自然界(物理学)と生物界(生物学)をつなぐ大統一理論は、誰でもチャレンジすることができるのである。

  • Preface

  • Contents